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東京高等裁判所 平成6年(ネ)5471号 判決

控訴人

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

弘中惇一郎

被控訴人

株式会社毎日新聞社

右代表者代表取締役

小池唯夫

右訴訟代理人弁護士

河村貢

河村貞哉

豊泉貫太郎

岡野谷知広

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人は、控訴人に対し、金一〇〇万円及びこれに対する昭和六三年一〇月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。(当審において請求を減縮)

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  控訴人は、妻であった訴外甲野花子(以下「訴外花子」という。)を殺害したとして起訴され、勾留されているものの、一貫して無実を主張している者であり、被控訴人は、日本全国に向けて日刊紙「毎日新聞」を発行している株式会社である。

2  被告は、右「毎日新聞」の昭和六三年一〇月二二日(土曜日)付け夕刊の紙面に、「ロス銃撃」「乙山へ約束は二〇〇万円」「一七万円値切った?甲野」との見出しのもとに、警視庁捜査一課の捜査本部が、①訴外花子の保険金を取得した控訴人がその直後に、訴外乙山二郎(以下「訴外乙山」という。)に支払った一八三万円を殺人の報酬であると見ている、②控訴人は訴外乙山に対し当初二〇〇万円の報酬を約束していたものの、一七万円を値引いていたことを突き止めた」旨の記述のある別添の記事(以下「本件記事」という。)を掲載した。

3(一)  本件記事は、見出し、記事の構成や本文の記述等において、控訴人が訴外花子の殺害を企て、その殺害を依頼して銃撃させた殺人犯人であるとの虚偽の事実を断定的に記載しており、これを読む本件記事の一般の読者に対し、控訴人が殺人犯であるとの誤った認識を与えるものである。

(二)  さらに、本件記事は、控訴人が二〇〇万円の殺人報酬を約束し、一七万円を値切ったと記述する点において、一般の読者に対し、控訴人が依頼した殺人報酬までも値切るような汚い人間であることを強烈に印象付けるものであり、そのうえ、より一層、控訴人が真犯人であるかのごとく誤信させる効果を有するものである。

4  本件記事は、我が国有数の発行部数を持ち、極めて影響力の高い日刊新聞紙上に掲載され、頒布されたものであるため、控訴人は著しく名誉を侵害され、多大な精神的損害を被った。しかも、被控訴人は、右記事の掲載にあたって、無罪を主張している控訴人自身には何らの取材もしなかったばかりか、控訴人から、平成三年六月四日差出しの内容証明郵便でその善処方を求められたのに、不誠実な対応に終始したのであるから、控訴人が本件記事によって被った精神的苦痛は一層大きい。

このような控訴人の精神的苦痛に対して被控訴人の支払うべき慰謝料の額は、金一〇〇万円を下らない。

5  よって、控訴人は、被控訴人に対し、不法行為に基づく損害賠償請求として、慰謝料金一〇〇万円及びこれに対する不法行為の日である昭和六三年一〇月二二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び2は認める。

2  同3(一)及び(二)はいずれも否認する。

3  同4の事実のうち、本件記事が、我が国有数の発行部数を持ち、極めて影響力の高い日刊新聞紙上に掲載され、頒布されたこと、控訴人には直接取材をしなかったこと、控訴人から善処方を求める平成三年六月四日差出しの内容証明郵便の送付を受けたことは認め、その余の事実は否認する。

本件記事が掲載された当時、控訴人は訴外花子の殺人被疑者として逮捕され、あらゆるマス・メディアを通してその事実が公に明らかにされたことにより、控訴人の社会的評価は既に大きく低下していたから、本件記事によって、控訴人の社会的評価が更に低下するということはない。また、殺人の実行者との間で報酬の約束や支払いをし、更にその際に一部減額を求めたとの事実は、殺人に比べれば枝葉末節の事柄に過ぎず、殺人犯として逮捕されたことが広く報じられた控訴人の社会的評価に新たに影響を与えるものではない。

三  抗弁

1  報道内容及び報道目的の公共性

控訴人は、昭和六〇年九月に訴外花子に対する殺人未遂被疑事件で逮捕、起訴された上、昭和六三年一〇月二〇日に訴外花子に対する殺人被疑事件で逮捕され、同年一一月一〇日に起訴された者であるところ、本件記事は、控訴人が右殺人被疑事件で逮捕された二日後に、捜査機関の捜査状況、判断を報じたのであるから、その内容は公共の利害に関する事実に該当する。しかも、被控訴人は、専ら公益を図る目的のために本件記事を掲載したものである。

2  真実性の証明

(一) 本件記事は、別添のとおり「捜査本部は控訴人から訴外乙山に渡った現金一八三万円が殺人の報酬であったとみて送金方法などの解明を急いでいたが、二二日までに、この金は当初、控訴人が二〇〇万円の支払いを約束していたものを諸雑費などの名目をつけて、一七万円値引いていたことを突き止めた。」「同本部は、一八三万円は『殺人報酬』に間違いないとの見方を一層強めている。」などと記述しているとおり、控訴人が訴外乙山に支払った一八三万円が殺人の報酬であるとみているという、捜査当局の見解、判断を報道したものであるところ、捜査当局が右のような判断をしていたことは、控訴人に対する殺人事件の公判において検察官が冒頭陳述でその旨を述べたことによって、真実であることが明らかである。

(二) また、本件記事においては、控訴人が訴外乙山に殺人を依頼し、訴外花子を殺害させた殺人犯人であるとの事実について真実性の証明をしなければならないとしても、犯罪に関する事実の報道は、容疑者が当該事実事件の犯人として起訴されたことが立証されれば真実性の証明があったものとして違法性が阻却されるものというべきであるから、検察官が控訴人に対し、本件記事と同内容の公訴事実で起訴した以上、本件記事掲載は違法ではない。

(三) さらに、控訴人は、東京地方裁判所刑事部において、平成六年三月三一日、訴外花子に対する殺人被告事件について、有罪判決を言い渡されたものであるから、右判決において実行犯が訴外乙山とは認定されなかったとはいえ、控訴人を右殺人事件の犯人であるとした本件記事については真実性の証明がなされたものというべきである。

3  真実と信ずべき相当の理由

仮に右2の主張が理由がないとしても、

(一) 本件記事掲載当時、控訴人と訴外乙山は、殺人の共犯として逮捕されていたが、捜査当局は、控訴人から訴外乙山に対し、正当な取引上の支払いとしては到底考えられない不自然な形で一八三万円が支払われていた事実、すなわち、控訴人から訴外乙山の妻名義の口座に入金した後、更に妻名義の他の口座へ振替手続をしていること等を知ったため、これを控訴人から訴外乙山への殺人報酬の支払いと考えた。被控訴人も、控訴人が訴外花子の殺人被疑事件で逮捕される以前から、控訴人の一連の事件について取材を継続していたが、昭和六三年三月一二日付け「日刊スポーツ」紙上に控訴人から訴外乙山に殺人の報酬として金二〇〇万円が支払われたとの報道がなされたので、担当者が捜査当局に右事実を確認したところ、捜査当局は特にこれを否定しなかった。

このようなことから、被控訴人は、捜査当局が控訴人の訴外乙山への支払いは殺人の報酬であるとの確信をもって捜査しているものと信じたことについて過失はない。

(二) また、被控訴人は、右取材を通して右内容を真実と信じたものであるが、検察官でさえも、右一八三万円の授受を殺人報酬と判断して起訴したのであるから、被控訴人において同様の判断をしたとしても何らの過失もないことは明らかである。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実のうち、控訴人が昭和六〇年九月に訴外花子に対する殺人未遂被疑事件で逮捕、起訴されたこと、昭和六三年一〇月二〇日に訴外花子に対する殺人被疑事件で逮捕され、同年一一月一〇日に起訴されたこと、本件記事は、控訴人が右殺人被疑事件で逮捕された二日後に掲載されたものであることは認め、その余は否認する。

2  同2(一)の事実のうち、本件記事が「捜査本部は控訴人から訴外乙山に渡った現金一八三万円が殺人の報酬であったとみて送金方法などの解明を急いでいたが、二二日までに、この金は当初、控訴人が二〇〇万円の支払いを約束していたものを諸雑費などの名目をつけて、一七万円値引いていたことを突き止めた。」「一八三万円は、『殺人報酬』に間違いないとの見方を一層強めた。」などと記述していること、控訴人に対する殺人事件の公判において検察官が冒頭陳述で右記事内容と同趣旨を述べたことは認め、その余は否認する。

3  同2(二)のうち、検察官が、控訴人が訴外乙山に殺人を依頼し、訴外花子を殺害させた殺人犯人であるとの公訴事実で起訴をしたとの事実は認め、その余は争う。

4  同2(三)のうち、控訴人が東京地方裁判所刑事部において、平成六年三月三一日、訴外花子に対する殺人被告事件につき、有罪判決を言い渡された事実、右判決で訴外乙山が実行犯と認定されなかったことは認め、その余は争う。

5  同3(一)の事実のうち、控訴人と訴外乙山が、殺人の共犯として逮捕されていたこと、控訴人が訴外乙山に対し一八三万円を支払ったことは認め、その余の事実は否認し、主張は争う。

6  同3(二)の事実の、検察官が一八三万円の授受を殺人報酬と判断して起訴したことは認め、その余は争う。

第三  証拠

原審及び当審の各記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

一  請求原因について

1  請求原因1及び2、請求原因4のうちの本件記事が我が国有数の発行部数を持ち、影響力の高い日刊新聞紙上に掲載され、頒布されたこと、控訴人が昭和六〇年九月に訴外花子に対する殺人未遂被疑事件で逮捕、起訴されたこと、並びに抗弁1のうち、控訴人が昭和六三年一〇月二〇日に訴外花子に対する殺人被疑事件で逮捕され、同年一一月一〇日に起訴されたこと、本件記事は、控訴人が右殺人被疑事件で逮捕された二日後に掲載されたものであることは、いずれも当事者間に争いがない。

2  そこで、請求原因3(本件記事の内容及び読者に与える影響)について検討する。

本件記事は、右のとおり、いわゆる「ロス銃撃事件」について警視庁捜査一課に設置された捜査本部において、控訴人が訴外乙山に訴外花子に対する殺人の報酬として一八三万円を支払ったこと、報酬は二〇〇万円の約束であったが一七万円を減額したことを突き止めたことを主な内容とする記事であるところ、子細にみれば、別添のとおり、捜査本部においては、右金員がいったん訴外乙山の妻名義の口座に入れられた後に別の金融機関の口座に振り込まれるという複雑な流れを経て訴外乙山に渡っていることから、殺人報酬をカモフラージュするための偽装工作の疑いが濃いと判断していること、さらに、同本部によると、控訴人は過去五人の知人に訴外花子や愛人らを殺害するよう持ち掛けた際に一〇〇〇万円単位の成功報酬を約束していたが、今回は、商取引で弱い立場にあった訴外乙山に金を出し惜しんだと見られていること、ひと思いに殺害する計画をたてていたところ、意識不明となった訴外花子が帰国後に死亡するという計算外の展開となったことが減額の理由らしいこと等を記述しているものである。

そうすると、本件記事は、捜査本部が突き止めたなどと、捜査本部の判断をそのまま客観的に報道する表現をとっている部分がそのほとんどを占めるものの、全体としてみれば、これを読む一般読者に対し、控訴人が共犯として逮捕された訴外乙山に訴外花子の殺害を依頼し、殺害させて保険金取得の目的を遂げたことは事実であるとの認識を強く抱かせる内容のものというべきである。したがって、本件記事は、控訴人を殺人犯であるとしてその社会的評価を低下させ、名誉を毀損する内容のものというべきである。

被控訴人は、本件記事が掲載された当時、控訴人は既に訴外花子の殺人被疑者として逮捕され、右事実について公に報道され、その社会的評価は既に大きく低下していた身であるから、本件記事が、控訴人の社会的評価を新たに低下させたとはいえない旨主張する。

しかし、刑事事件の容疑で逮捕されることは、その犯罪を犯した者との印象を広く世人に与える事実ではあるが、そのことによって右容疑について包括的かつ確定的に社会的評価が定まるものとはいえず、むしろ、浮動性に富む社会的評価の性質上、個々の名誉毀損的行為ごとになんらかの社会的評価の低下はあるものと考えられる。したがって、控訴人が訴外花子に対する殺人容疑で逮捕されていることから、本件記事による社会的評価の低下を否定することはできない。

二  そこで、抗弁について検討する。

1  本件記事は、前記のとおり、控訴人が、保険金目当てで共犯として逮捕された訴外乙山に対し、妻の殺害を依頼して報酬を支払ったことを突き止めたという内容のものであるから、公共の利害に関する記事というべきであり、また、その犯罪の成否等とは直接関係のない事項を書きたてたり、その被疑事件の一部を興味本意に誇張して報道したものとは認められないから、専ら公益を図る目的で報道されたものと認められる。

2  そこで抗弁2(本件記事の真実性)及び同3(真実と信ずべき相当の理由)について判断するに、被控訴人は、本件記事が、控訴人が訴外乙山に支払った一八三万円が殺人の報酬であったとの捜査当局の判断を報道したものであるから、その真実性の証明の対象は、捜査当局が右判断をしていたことであるとし、控訴人に対する殺人被告事件の公判において検察官が冒頭陳述でその旨を述べたことから、真実であることは明らかである旨主張するが(抗弁2(一))、前記一2に記載したとおり、本件記事は、読者に対し、控訴人が訴外花子の殺人を依頼して殺害させた犯人に間違いないとの認識を抱かせる記事であるから、右主張はその前提を欠き、失当である。

3  ところで、犯罪報道により名誉が毀損されたとする損害賠償請求訴訟において報道機関が免責されるためには、当該報道の真実性が証明されるか、又は報道機関が報道の内容を真実と信ずるについて相当な理由があったことを必要とするが、犯罪事実の存否については、国家の刑罰権の行使のため、慎重な手続により、いわゆる厳格な証明によってこれを確定する公的制度として刑事裁判制度が存し、有罪判決は特に高度の心証に基づいてされることが要請されている。このような刑事裁判制度の性格に照らせば、報道された犯罪につき有罪判決が言い渡された場合には、右判決の確定を待つことなく、報道機関においてその内容が真実であると信ずるにつき相当な理由があったことが推定されるものと解するのが相当である。

これを本件においてみるに、乙七号証によれば、平成六年三月三一日、東京地方裁判所刑事部において、訴外乙山については、控訴人と共謀して花子殺害を実行したとまで断定するには足りないとされたものの、控訴人については、訴外花子に掛けられた生命保険金等の取得を目的とし、氏名不詳の実行犯と共謀の上、訴外花子を殺害したとして有罪判決が言い渡されたことが認められる。そして、控訴人の名誉の観点からすると、本件記事の重要な核心部分は、依頼した相手方が訴外乙山であるか否かではなく、控訴人が訴外花子に掛けた生命保険金の取得を企てて、第三者に依頼し、殺害の目的を遂げたという点にあるから、右刑事判決があったことによって、被控訴人がその内容を真実と信ずる相当な理由があったことが推定されるものというべきである。そして、右推定を覆すに足りる証拠はない。

なお、控訴人は、本件記事は、殺人報酬は当初二〇〇万円の約束であったのにもかかわらず、控訴人が一七万円値切って支払ったことをも内容とし、一般の読者に対し、控訴人が、約束した殺人報酬までも値切るような汚ない人間であると強烈に印象付けるもので、より一層控訴人の名誉を毀損するものである旨主張するが、殺人報酬の約束の有無やその支払い、減額の有無等は、殺人そのものから見れば枝葉末節の事柄であるから、右記事部分が殺人犯人としての報道とは別個独立に、控訴人の名誉に影響を与えるものと解することはできない。

したがって、本件記事は、その主要部分について真実であるとの証明がなされたものとみるべきである。

三  結論

以上によれば、控訴人の本訴請求は理由がないから棄却すべきである。

よって、原判決は相当であるから、本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官加茂紀久男 裁判官鬼頭季郎 裁判官三村晶子)

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